カテゴリ
全体
江戸切子
インテリア
ジュエリー
最新のトラックバック
<   2009年 01月 ( 13 )   > この月の画像一覧
imagineer
 去年の失敗の1つに

 その業界で有名なもの=消費者が購入するものではない

 ということがわからずに、焦りでうまくいかなかった仕事があります。

 大きな失敗の1つが

 デザイン

 という言葉の魔術にはまったこと。

 このところ伝統工芸とデザイナーさんとのコラボレーションばやりということで、

 そうでないと有名になれない!

 と焦り、危うく大きな失敗をするところでした。(危なかった!!)

 弊社は、ウォルト・ディズニーの会社で言う

 imagineer

であるべきで、

 (imagination(想像)とengineering(エンジニアリング)の造語です)

 両方を一度にできる会社としてビジネスを行っていなかなくてはならないと考え直しました。

技術と発想と。

 この2つが職人の強みだと思います。

 デザイン分野だけでなく幅広い見方をする必要性を感じた次第です。
f0088709_18173132.jpg

 

 
[PR]
by littlehanashyo | 2009-01-30 18:17 | 江戸切子
来月はさまざまな職人さんに出会える月
 横連携チーム(そろそろかっこいいネーミングを決めたい!)

 や、その他知り合いの産地の方々が来月は東京の展示会に多数出展されるので、来月は、色々とまたお話できるのが楽しみ!です。

 長野県の内山紙さんが
 2/2~2/6 表参道のRin(弊社もお世話になっています!)で
 「新しい伝統工芸展」に出展

 富山県の能作さん
 東京都の二葉苑さんがギフトショー(東京ビッグサイト)に出展

 佐賀県の辻与製陶所さんが「テーブルウエアフェスティバル」(東京ドーム)に出展


 などなど、この時期は展示会やイベントが多いようです。

 辻さんは何と、

 「有田焼と江戸切子を楽しむテーブルスタイル」ということで、弊社の切子も飾ってくださっています。

 ディスプレイコラボレーション
 
 ということで、両方お好きな方には見逃せません。

 こうして色々な方々が個々に活躍している中で、横連携チームはプロジェクト・・・なんて書くと、仰々しいので、

 部活動

 的な位置づけをしてはじめはできるといいなあと思っています。

 

 
[PR]
by littlehanashyo | 2009-01-29 14:21 | 江戸切子
直販を最終目標に・・・
 実は、今回の連携チームプロジェクトの最終結末は

 直販をする

 です。

 長々と華硝の歴史を書いてきましたが

 直販システムの遅れ

 が工芸の世界を苦しめています。

 ぶっちゃけ、消費者だって、野菜が直売所なら新鮮で安くておいしいって知っているように、

 野菜もモノも直販のほうがお得です。

 そりゃあ、自動車や家電を直販で・・・というのは無理でも、結構、趣味の世界は直販が重宝されています。

 たとえば、真空管だったり、ミニチュアだったり、

 追求の世界はこだわりや独自性が強い価値観の世界のため、

 直接伝え販売する

 ことが大切な手段なのでしょう。

 それって工芸も同じですよね・・・・。

 以前、実は委託販売にむかーしチャレンジしたことがあるのですが
 (注:表参道のRINではありません。ここのお店はちゃんと売れています)

 全然売れなくて

 お店にはお客さんが来るのに、立地がはるかにいい某セレクトショップでは全くだめ。

 分析すればいろいろあるのですが、やはり、

 専門店・こだわりを伝える専門の店員さん

 ではないということが大きな違いなのだと考えます。

 でも、じゃあ、東京じゃない地方はどうするんだよ~

 という声もあると思うのですが、

 そこで活躍がインターネットだと思います。

 通販=直販

 だったら、今までにない販路開拓も可能なはずだと思うのです。

 じゃぱねっとたかた

 だって、九州の会社じゃないですか、それが全国で、知らない人がいない
ということは

 通販=全国区(いや、全世界)

 といえます。

 ということで、直販できるシステムまで構築できることが、連携チームの最終で、

 もっと最終は

 売れること

 ですね。(ビジネスとして成り立たない・・・そうでなければ)

 

 
[PR]
by littlehanashyo | 2009-01-28 16:56 | 江戸切子
一度言ってみたかったんです・・・
 去年の1月に

 リビングデザインセンターOZONEで開催された

 「和のある暮らしのカタチ展」という、

 伝統工芸の会社さんが50集まった展示会がありました。

 1年たった今、そこで知り合った職人さんたちやデザイナーさんたちとまだまだ交流があります。

 今まで工芸の業界(日本では)どうしても縦割り型のグループしかありませんでした。

 たぶん、工芸品というのは江戸時代に限っていえば、各藩の専売品だったためで、いわゆる

 「うちの藩の特別品じゃ、よそにもらすな!」

 的な立場であったのだと思うのです。

 幕藩制度の名残ゆえ、横で・・・他の陶器は?他の工芸さんとの交流は?
 といった情報交換はなかなか成し遂げられなかったのでは?と予測しています。

 もちろんインターネットの普及もあり、時間・距離をものともしない情報交流が可能となった点も、縦型ではない横連携の流れを生み出しているとは思います。

 そうした縦型を否定はしませんが、

 三人寄れば文殊の知恵

 で、さまざまな産地さんと交流が深まることにより、面白い試みやアイディアが浮かびます。

 私が理想とするのは「ゆるやかな組織」です。

 ハリウッドの映画チームのように、たとえば、1つの映画があったら、そlこに人が集まり、映画が終われば解散。自分の仕事に戻る・・・といったグループを工芸の世界にも持ち込んだら面白いのではないか?と思っています。

 たとえば、今だったら「国産ランプ」づくりを行っていますが、

 「参加したい工芸さんいますか?」と募り、(もちろんスカウトも)一緒にプロジェクトを行う。

 また別の製品のときに集まって一緒にものをつくる。

 まずは作品を創り続ける。集まったら発表をする。次第に自分たちのブランドとして売り出す。(直販で)

 といった流れがあったら面白いなあと。

 そういう「ゆるやか」な組織(っていうのもなんだかなあ・・・仮名です)づくりの第一歩として、今回からコメントできるようにしました。

 工芸関係の方だけでなく、そうじゃやない職種で興味をお持ちの方や、j華硝のお客様や、これから工芸の仕事につきたいなあと思っている方や、さまざまな方からのご意見やアイディアや、いや、そんなに重いものではなく、軽い気持ちでの感想やら、何かあれば、ぜひコメントを伺わせていただければと思っています。

 私は日本の工芸の世界がこれから変わる、日本の産業として大きな役割を果たす可能性があると予感しています。

 これからの工芸を一緒に変えていきましょう。

 changeです!(一度言ってみたかったんです!
f0088709_11193176.jpg

[PR]
by littlehanashyo | 2009-01-27 11:18 | 江戸切子
なぜ直販にこだわるのか③~こたつ以後
 江戸切子=すべてが手作業

 ではなく

 最後の仕上げ(カットした線を光らせるための「磨き」)に

 硫酸とフッ化水素を用いているものがある。

 カットした状態ではくもりがらすの状態でできあがってくるので、それを理薬品につける。

 そうすると化学反応により、カットした面が透明にかわり、輝くのである。

 それを「薬品仕上げ」と呼ぶ。

 弊社では一切用いていない。すねて「手」にこだわって作品は制作している。

 「薬品仕上げ」は一度に何個も何十個も「磨く」ことができるので、

 大量生産向けの江戸切子

 に多い。

 つまり、「手磨き」にこだわると、どこのお店にも卸すことはできない。

 丁寧な仕事のためには、数よりも質を重視したい。

 その結果、直販以外の方法がないのである。

 最初は本当に口コミで広がっていった。

 ここでしか買うことができない江戸切子として、いまでは、ネットの普及とともに、全国の方、海外の方までお会いすることになった。

 お店の場所は変わっていないのに、お客様の層は幅広くなった。

 他の産地の方にお会いすると、みなさん「直販は夢ですよ」という言葉を聞く。

 消費者は工芸品の場合は、創り手から直接買いたいと思っていると考える。

 ネットからでいいから、職人が直接発信できるような動きができると、またものづくりの世界にも変化がおきてくるのではないか・・・そう思っている。

 (終わり)

 書きたいことはいっぱいあるのですが、簡単なかたちで弊社の歴史をまとめてみました。
 工房創業64年のうち16年が店舗ということで、店舗として成立するまでにも時間はかかりました。
 でも、その間の紆余曲折は今となっては財産です。
 これから作品だけでなく店舗もまた進化を続けたいと思っています。

 



 
[PR]
by littlehanashyo | 2009-01-24 11:09 | 江戸切子
なぜ直販にこだわるのか②~こたつ以後
 その日から

 店=家

 になった。

 家のリビングに突然、什器が出現。

 カード決済の機械が置かれ、納戸は梱包資材を入れる部屋になった。

 普通の家の中の一角だけが店。

 かつて家族の団欒スペースで、子どもの頃には「どんじゃら」(知ってますか?)を楽しんだテーブルが消え去った。

 そうじをすれば、ダンボールの切れ端や、包装紙の破片が落ちている。

 お昼を食べているときにお客さんがいらっしゃれば、片付け、時にはうどんくさいにおいの中でお買い物をしていただくこともあった。

 飲み会の後、家に戻ると、隆一と節子が必死に、包装をしていることがあり、私も

 深夜のシールはり

 に参加したことが何度かある。

 もくもくと黙って包装し、シールを貼る作業が永遠に続く。

 それでも、直販は楽しかった。

 亀戸の住宅街にわざわざご来店くださるお客様は、みなこだわりを持った素敵な方が多く、

 十六年以上もお付き合いをさせていただている方が多い。

 良い場所で商売をすればそのほうが、新規の顧客はのぞめるかもしれないが、

 直接お客様に説明をしてお話をしてお買い物を楽しんでいただく

 ことは、あまりに来客数が多かったり、直接自分でできなければ、うまく伝わらないこともでてくる。

 もともとは隆一の野望からはじまった「直接販売」であったが、今でもその方法を大切にしたことが、今の華硝につながっていることは間違いない。

 わずかなスペースの店ではあるが、今では顧客数は1万に近くいる。

 十六年間に訪れてくださったお客様は日本だけでなく海外も増えてきた。

 そのときは無我夢中で行ったことであったが

 直接工房で制作、販売

 といった方法が、今となっては一番良かったことなのだと考えている。

 自分たちで制作したものを自分たちの店舗で販売すること。

 実は販売面だけでなくもう一つ直販にこだわる理由がある。

 それは「手磨き」を行うためには直販でなければならないという作業面でもこだわりがある。

 (続く)明日が最終回です。
[PR]
by littlehanashyo | 2009-01-23 11:02 | 江戸切子
なぜ直販にこだわるのか①~こたつ以後
 こたつから店舗販売へ・・・。

 直面した壁は「販売」というシステムだった。

 通常、江戸切子の場合は、

 硝子メーカーから注文 ⇒ 下請け制作 ⇒ メーカーが問屋へ

 ⇒ 問屋が百貨店などへ卸す

 という流れで販売が行われている。(今でもほとんどがそうです)

 それが

 制作 ⇒ 販売

 という流れになり、創り手=販売員にならなくてはならない。

 節子が販売担当は決まっていたが、

 場所は?広告は?価格は?

 主婦が初めて直面する数々の問題。

 これらは税理士さんの相談のもと解決していくことはできた。
 
 場所はとりあえずこたつを什器に変えて、リビング兼店舗で始める。

 一番の問題は・・・

 「熊倉硝子工芸の江戸切子って名前じゃ買わないんじゃない?」

 ということだった。

 「バカラのグラス」「ウエッジウッドの食器」「アルマーニのスーツ」

 ブランド名がみなカッコイイ。外国人の名前はそのままブランド名になる。
 
 が、日本名の場合、どうしても見劣りがしてしまう。

 ましてや

 「熊工の江戸切子」では・・・。まるで熊本県の工業高校の名前みたいだ。

 将来的は世界の硝子メーカーになる

 という野望のもと、販売会社を別の名前で立ち上げることとなった。

 それが

 「株式会社 江戸切子の店 華硝」である。(当時は有限会社だった)

 今から16年前、こたつ店舗から「華硝」が始まったのである。

 「華やかな硝子」を制作するというそのままの略語名であったが、「華硝の江戸切子」となったことで、

 本格的に「直販」が始まるのだ・・・という身の引き締まる思いがあった。

 が、家族はこの直販が始まったことにより、生活の変化を余儀なくされることとなったのである。

 「深夜のシールはり」「食事テーブルはどこへ消えた?」など、数々の試練(?)を乗り越え、「直販システム」を確立していくこととなった。

 それが何よりも良かったと今でも思っている。

 

 
[PR]
by littlehanashyo | 2009-01-22 11:09 | 江戸切子
なぜ直販にこだわるのか③~こたつ以前
 アルバイトとは何か。

 実は、ときどき節子の友達から頼まれて、江戸切子を作っていた。

 残業というかたちで、頼まれたものを作り、節子があげていたのだ。

 最初は友人へのプレゼントからはじまったが、次第に

 「売って欲しい」という要望にかわり、節子は、昼間、リビングのこだつテーブルに、

 作品を並べ、細々と販売していたのだった。

 節子は商社に勤めていたことがあっても、専業主婦であり、販売員の経験はない。

 40代からの出発・・・。

 しかし、隆一は躊躇しなかった。

 「アルバイトを本業にしよう」

 直接お客さんに売れるものを制作する。

 江戸切子の業界では全くのタブーであった。

 「売れるわけがない」「成り立つわけがない」

 下請けというシステムが有名無実化している業界では
 
 「直販」の可能性などこれっぽちもなかった。

 ちょうど、親会社のようなメーカーがなくなる。

 以前だったらそのような業界の中での異端行為は決して許されなかったにちがいない。

 が、メーカーからの受注がなくなれば、終わるのは目にみえている。

 茂吉は隆一の勝手さに腹立たしさを持ちながらも、

 「やってみろ」

 背中を押した。

 隆一は念願の

 「創り手の自由」を手に入れたのであった。

 が、「こたつ以後」。今度は新たな問題に直面することとなる。

 (続く)
[PR]
by littlehanashyo | 2009-01-21 14:32 | 江戸切子
なぜ直販にこだわるのか②~こたつ以前
 2代目隆一はものづくりに昔から秀でていた。

 幼少の頃から、プラモデルは買ってきてはすぐに完成させてしまい、近所のお店のものはあっという間に物足りなくなったり

 大人になってからは

 住居に暖炉を設置、家のリフォームは自分で、

 真空管にはまったときには何台も制作し、華硝のお客さんから注文をもらたり、

 子どもの工芸の宿題で出たジュエリーがあまりにも上手すぎて、教師に専門家に間違えられたり。

 だからこそ、「加工賃業」という形態は自分の能力を正当に評価されたように思えない。

 自分でなくても、誰が創ってもかまわない江戸切子になってしまう。

 隆一の考えていたことはただ一つ

 「創り手が儲からなくてどうする」

 ということであった。

 それにはどうするべきか?

 日々大手硝子メーカーから受ける仕事をこなしながら、隆一の頭の中はそれだけでいっぱいであった。

 1990年代、そんな隆一の悶々とした日々に日本経済に大きな事件がおきた。

 いわゆる バブルの崩壊だった。

 その出来事が、まさか自分の考えていた「創り手の儲かるシステムづくり」を加速させることになるとは、そのとき隆一は予想もしていなかったのである。

 しかし、隆一は誰よりも早く気づいた。

 「硝子メーカーもきっとバブルの崩壊の影響を受ける。そのときにとばっちりを食らうのはまっぴらだ」

 しかし、仕事の大部分はそうした会社から得ている。

 借金も返済しなくてはならない。

 どこからお金を得るのか?

 そんな隆一の目に入ったのは、妻節子のアルバイトであった。

 (続く)
[PR]
by littlehanashyo | 2009-01-20 11:32 | 江戸切子
なぜ直販にこだわるのか①~こたつ以前
 華硝の切子のはじまりに欠かせないキーワードは

 「コタツ」

 です。

 「こたつと切子と華硝と」・・・って三大話みたいですが、

 「なぜ、こたつが関係あるのか?」

 というと、

 「最初の江戸切子はこたつテーブルで販売していた」

 からなのです。

 店舗の大きさ=こたつ大

 いつか本を書いたらタイトルは

 「それはこたつから始まった!」にしようと決めています。

 さておき、

 今回から数日は華硝の始まりを書いていこうと思います。

 実はそれを書くことがタイトルの「直販にこだわる」理由につながるからです。

 今日・明日は「こたつ以前」を簡単に・・・。

 1946年、一代目茂吉が、江東区亀戸の地で工房を始めました。

 丁稚奉公から独立がゆるされ、亀戸にやってきたのですが、もともとこの地は硝子に従事する産業が多く、

 理由としては

 小さな河川が多く物資を運ぶのに適していたからだ

 といわれています。

 今はほとんどありませんが、弊社のあるとおりも、そこらじゅうで硝子を削る音(歯医者さんの歯を削る音を想像してください・・)がしていました。

 当時は江戸切子だけでなく、弊社もカットグラス(クリスタル)も扱っており、一言でいえば

 「大手硝子メーカーの下請け」

 でした。

 つまり、制作者にも関わらず、名前は

 大手硝子メーカーのブランド名で販売。

 加工賃業というかたちで従事していたのです。


 が、それに対し、疑問と憤りと将来の見通しの暗さを感じていた一人の人物がいました。

 それが現在の「熊倉硝子工芸」社長、2代目隆一でした。

 (続く)
[PR]
by littlehanashyo | 2009-01-19 10:48 | 江戸切子
トップ

華硝の江戸切子について
by littlehanashyo
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧