周期的に訪れる司馬遼太郎ブームで
以前は「土方歳三さん、ついていきます!」だったのですが、
今回、以前から気になっていた「蘭学」をメインにした話を・・・ということで
「胡蝶の夢」(1)を読み始めました。
江戸時代の鎖国というシステムの中、
蘭学といった外来の学問は、あのがちがちの組織体制の中でどのような位置づけにあり、
また学ぶことが可能だったのか
ということを疑問に思いはじめましたが・・・
「今と・・・変わらない・・・?」
と思うことがしばしば。まだ1冊目なんですが、
新しいものを取り入れることを嫌う保守的な人々。
その目的は「自己の保身のみ」。
「もっと全体を見ようよ。もっと国とは何か考えようよ」
と思いながら
「現代もそう変わらないか・・・」とあまりの変化のない日本を感じ、
主人公である蘭学を学ぶ医者、松本良順に
「がんばれ!」と励ましてしまいました。私も頑張るよと・・・。
守りに入るばかりの人たち(自分のために)が増えれば、社会全体は停滞し、
ある一部の人たちだけが良い思いをすればいいという、非常に進歩のない、マンネリの社会になってしまうことに常々、疑問があって、
でも、歴史は不思議なことに、
そのままの状態ということは絶対にありえなくて、
必ず、新しい何かが取り入れられて、変わって、
でも、それを都合よしとしない人たちが必死に守って、
破れて・・・の繰り返しのように思えます。
自分の立場に常に疑問を持つこと
というのは、つまり、全体から見た自分を常に意識して、
また自分が他の人のために何ができるかを常に考え続けることだと私は思っています。
何となく歴史が好きで、得意で、史学の勉強をして、その面白さを伝えたくて日本史の教員になったけれども、
今このときになって自分がどんな人間になりたいか
を考えるために歴史を勉強してきたんだなあと
実感した気がします。
今日はすごーく真剣に書いたなあと自画自賛。店舗に戻ります!(お客様で混み合ってきました!)